2012年2月28日(火)に、台湾の桃園方面で巡検を行いました。そのレポートをお届けします。
まず、まえがきですが、私の勤務先である大阪大学人文地理学教室では、台湾の桃園大圳に関連した研究を進めています。桃園大圳というのは、日本統治時代に実施した大灌漑事業によってつくられた用水路網・水利施設です。K先生(伏せ字の意味ないですね、小林先生です)は、現地でぜひ用水路や水田などを見たいとおっしゃっていました。そして、いろいろあって、2月下旬に東洋史(中国史)のチームKとともに台湾にやって来ることになったのでした。
チームKも巻き込んで総勢8名で桃園巡検を行うことになった経緯もいろいろあったのですが、割愛します。バスをチャーターする必要などがあり、中央研究院のL先生には大変お世話になりました。
さて、朝9時過ぎに台北市内を出発です。雨です。それも本降りです。そんな中、高速道路に乗って南に向かい、着いたのがここです(地点A;以下、最後に載せたGoogleマップと対応させた記号を付記)↓
・・・って、あれぇ?えっとですね、なんでこんなところに来たか、ですが、バスの運転手に最初の目的地を伝えたところ、途中に蒋介石の遺体安置所があるよと教えてくれ、じゃあ行こうということになったのでした。のっけから予定外の逸脱行動、ま、予定通りに行動する人たちではありません(と、ひとごとのように言ってみる)。
で、ここはどこ?これは何?私は誰?(波江です)という話ですが、ここは慈湖紀念雕塑公園で、写真は蒋介石の銅像たちです。台湾各地の公共施設や学校などに設置されていた銅像が、いまここに集められているとのこと。半身像、立像、騎馬像などが並んでいて、まあ、なんというか(もごもご)。ここ桃園県大渓鎮慈湖地区は、かつて蒋介石が行館を建設したところなんだそうです。
公園から1km弱歩くと、慈湖陵寝(地点B)、つまり蒋介石の遺体安置所に着きます。さすがに写真はNGでしょ、と思ったら、OKなんだそうです。もうすっかり観光地化しているわけですね。
一通り見学して出てきたのが10時50分ごろ。あと10分ほどで衛兵の交代が見られるということで(1時間ごとに交代らしい)、雨の中辛抱して待ち、交代の儀式を見ることができました。
ちなみに、このあたりは長らく軍事管制区だったため、生態や環境が保護され、見所もたくさんあるようです。また来る機会があればゆっくり散策したいと思いました(銅像や遺体はもういいけど)。
蒋経国の遺体安置所にもいちおう寄った後(車内見学)、チームKの先生方にチーム小林(?)の研究内容を説明しているうちに、次の(というか、当初の)目的地、石門水庫(地点C)に到着しました。ダムです。ダムダム人を思い出す余裕もなく、ここではかなりの大雨で、もうびしょびしょです。桃園大圳ができたころには当然こんな立派なダムはなかったわけですが、日本統治時代から建設計画はあったそうです。現在の桃園大圳はこのダムから取水しています(ダム自体は発電や治水など多目的)。
遠い上にけぶっていてわかりにくいですが、奥にみえる橋の左側に桃園大圳の取水口があります。石門水庫から後池(といいます)に放水され、桃園大圳へと水が流れていくわけですね。ちなみに、このダムも観光スポットになっています。
この日の水位はこんな感じ。
一通り見学して、気づいたら12時15分。予定では、この後2つの目的地をまわって12時半から中壢市で昼食、だったのですが、絶対に無理(笑)。というわけで、レストランの予約を遅らせてもらい、まっすぐ中壢市へと向かいました。
40分ほどで中壢市のレストラン(ここもL先生に予約していただきました)に到着。古華花園飯店の「明皇楼」という中華料理のレストランです(地点D)。ホテルに着いたとたん、先生方が口々に「ここぉ?」「いやぁ、こんなところとは思わなかった」「エクスカーションの昼飯って感じじゃないよ」などと言うので、どういう場所か知っていた私はちょっと肩身が狭かったです・・・(ダブルK先生には事前にURLを載せてメールしたんだけどなあ)。あ、とてもおいしかったです。
午後は、桃園県観音郷を目指します。観音郷は特に詳細に分析している地域です。県道112号線を西へ走り、中央大学へと入っていく交差点を過ぎたあたりで「ちょっと止めて」。脇道を少し歩いていくと、桃園大圳の用水路を発見(地点E)。
「三宏大橋」(ぜんぜん大きくないですが)という橋の上から撮影。近くには、三宏電工廠股份有限公司という大きな会社がありました。
112号線に戻り、さらに西へ。「この大きなため池を見たい」(地形図を見ながら言っています)という一声で目的地が決まります。このあたりではないか、というところでバスを止め、細い道を進んでいくと、用水路とともに次のようなプレートを発見しました(地点F)。
地元の人に聞くと(チームKの方々は当然中国語ペラペラです)、この用水路自体は日本統治時代からあったが、最近(民国93年だから2004年ですね)コンクリートで固める工事をしたとのこと。その竣工を記念したプレートです。
さて、この近くにあるはずだ、ということで、用水路に沿ってため池を探しますが、なかなか見つかりません。あまりにも見つからないので、なくなったんじゃないか、とか、地形図が間違ってるんじゃないか、という声が強まったところで、実は場所を間違えていたということに気づく(苦笑)。
そこから直線距離で1.5kmほど北西にいった、店などが立ち並ぶちょっとした通りでバスを止め、そこからまた歩きます。不安と希望が入り混じる気持ちで進む私たちの眼前に見えてきた水面。ようやくたどり着きました!(地点G)
「学校埤」というため池のようです。写真でわかるように、工事中で立ち入るなという様子だったのですが、ずかずか入っていく他の面々。地元の人だかなんだかわからない人たちも、魚釣りだかなんだかよくわからないことをしていました。
ちなみに、最後に載せたGoogleマップでは、池などどこにも見当たりません。一方、台湾内政部国土測絵中心が提供している「通用版電子地図」で見ると、上の画像のようにしっかりため池が表示されています。この通用版電子地図、ものすごく詳細で高機能なので、ぜひ一度試してみてください(これもL先生に教えていただきました)。
正式には、「桃園大圳第九支線第十五号池」というようです。
ものすごく大きい池です。
ため池とは反対側のがけを下りていくと(階段があります、雨でちょっとこわかったけど)、ため池の取水口を見ることができました。
さて、この時点ですでに16時を過ぎていたと思います。今回の巡検の重要な目的地がまだ2つも残っています。せめて1つだけでも、ということで、今度は東へ向かいます。ここまで雨に濡れながらかなり歩いた上に、気温も下がってきて肌寒く感じ、みなさんお疲れの様子(私もウトウトしてしまいました)。薄暗くなってきて、窓ガラスがバス内外の気温差で曇ってしまうため、外がよく見えません。それでもカーナビを頼りに、目的地付近の郵便局に到着。
ところが、ない。かなり広範囲に探索したのですが、見つからない。そもそも、事前にストリートビューで見たのと様子がぜんぜん違う。またも「地形図がいい加減」という声が出はじめ(苦笑)、17時40分を過ぎてもう帰るべきだろうという判断に至り、失意と安堵に満ちたバスは台北市へと向かったのでした。
それなりに充実した巡検でしたが、このままで終わっていいのか?!というわけで、その2へと続く・・・。