Google Earth/MapとKML/KMZファイルに関するメモの下のほうでちょっとだけ触れている茨木市の飛び地について。
Mapionの地図↓だと、飛び地であることがわかりやすいですね。正確には、茨木市大字小坪井というところ。万博公園の東側、吹田JCTのあるあたりです。
で、なんとなく気になっていたんですが、授業の準備で、例によってGoogle Earthに正式2万分1地形図を貼りつけてくるくる地球を回しながらいろいろみていたら、この飛び地がかつて「八町池」だったことを発見しました。授業の準備って、勉強になりますね~。いや、茨木に長く住んでいる人にとっては常識なのかもしれませんが。
薄くてわかりにくいですが、池を囲むように市区町村の境界が引かれています。境界の内側が茨木市(飛び地)、外側が吹田市。KMZファイル(seishiki_ibaraki.kmz 、5MB)も置いておきますので、興味がある人はGoogle Earthで開いて、八町池を探してみてください。
ちなみに、正式2万分1地形図をはがすとこんな感じ。
では、八町池はどういう変遷をたどっていったのでしょうか。簡易的に調べるために、今昔マップ2を使ってみてみたところ、1967年改測(1969年発行)の地形図までは池の存在を確認できました。下図では、「八丁池」という記載になっていますが、この1つ前(1929年修正、1932年発行)までは「八町池」という記載です。どちらでも、読みは「はっちょういけ」なんでしょうね。
ところが、1978年二改(1980年発行)の地形図では、「八丁池」の記載がなくなり、「茨木市飛地」に代わってしまいました。つまり、1967年から1978年のあいだに何かあった・・・って、そりゃ明らかに大阪万博ですよね。
こんなことを調べながら、へぇ、ふむふむ、と1人で納得してたんですが、ちょっと検索してみたら、同じようなことを考えてすでにブログに書いている方がいました→ 地図って面白い! 「飛び地」の発見:宗博’S ROOM たしかに水利権が関係してそうですが、どの地区がこの池の水を利用しているかを調べてみる必要がありそうです。
さて、池の一部は埋め立てられて道路などになってしまったわけですが、Google Earthでみるとわかるように、実は現在も池は部分的に残っています。これはこの目で見なくては、と思い、現地に行ってみました!長くなってきたので、続きは「茨木市の飛び地はかつて池だった:突撃編」で!
はじめまして!
ブログを紹介いただきました宗博と申します。
突撃編も拝見させていただきました。
こういうのって本当に気になりますよね。
一番上の地図に「小坪井」という地名がありますが、この飛び地との関連性までは分からないのですが、今のJR千里丘の南側(摂津市)にも同じ地名があります。
でも、この飛び地は茨木市みたいなので、関連がないのかもしれません。
ということで、お邪魔しました。
お返事が遅れました。コメント、そして、気になる情報、ありがとうございます。マピオンの地図で探したところ、ご教示の場所を同じかどうかはわかりませんが、たしかに千里丘東3丁目に小坪井会館というものがありますね。もともと小坪井村からはじまって幾多の合併を経て現在に至っているようです。その変遷など、今後も気にしていきたいと思います。
こんにちは!
私がコメントしたのはまさにその辺りです。マピオンの地図には載っておりませんが、地域消防団の詰め所みたいなところにも「小坪井分団」と書いてあったのを見たことがあります。
で、先生の返信コメントで初めて知ったのですが、小坪井村というのがあったんですね。ネットで調べたら明治22年の合併で消滅したとのこと。近所の歴史に関して、非常に興味が湧いてきました。
また、おわかりになったことがありましたら、是非紹介をお願いします。